今日庵 茶室・茶庭
(一般公開はされておりません)
−重要文化財・名勝史蹟−

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咄々斎(とつとつさい)
  天保10年(1839)、利休250年忌を営むに際し、玄々斎が造営していた「稽古の間」を安政3年(1856)、宗旦200年忌を営むために、改修して咄々斎と改めました。 咄々斎は八畳の席で、宗旦の号をとって咄々斎と命名されたものです。床は、又玄斎一燈手植えの五葉松古材の柱に蔦の框、床脇は踏込地板敷の正面に大きな下地窓を開け、 利休が秀吉から拝領した銅鑼(どら)が吊ってあります。五葉松の古材を長板の寸法に切り、 これを組み違いに張った格天井は一崩しの天井と称し、床脇上方の竹、前庭の「梅の井」と名付けられた 井戸と共に配して松竹梅に擬してあります。
  欄間の香狭間桐透しや反古襖(ほごぶすま)などいずれも玄々斎の趣向の深さがしのばれます。 代々の家元が出座されている茶席です。
  本席の命名は元伯宗旦の咄々斎の号によるものですが、特に小松宮彰仁親王は晩翠の名を用いられ、 玄々斎のために咄々の文字をお書きになり、今も扁額として掲げられています。