「ニューカレドニア日本人移民120年祭」で茶道行事を開催

120年祭記念行事会場:シャトー アゲン


  南太平洋ポリネシアに位置するフランス領ニューカレドニアに約600名の日本人契約労働者がこの地を踏んでから120年を迎えるにあたり、本年6月下旬より7月上旬にかけて「ニューカレドニア日本人移民120年祭」が開催されました。同行事に際して7月2日から同9日まで裏千家より淡交会顧問の塩月宗芯師、五藤宗紫氏並びに淡交会シドニー協会の松永義明会長をはじめとする同会会員有志ら一行が同地を訪問、淡交会ニューカレドニア協会(マリージョゼ・ミッシェル会長)の協力の下、一連の行事が催されました。


7月5日(木)
チオ市日本人墓地にて慰霊法要

  チオ市は明治25年(1892)、沖縄県、熊本県などからの599名の独身男性が到着した場所で、入植先であるニッケル鉱山がある町。労働契約期間が満了しても日本に帰ることなく、現地で家庭を築いた者も少なくありませんでした。父親或いは祖父が日本人という日系人は数千人にのぼり、日本国名誉総領事でもあるマリージョゼ・ミシェル会長も日系人三世です。




  到着地に近い海岸には日本人墓地があり、同所で慰霊法要が行われました。
  人口25万人のニューカレドニアには日本人の仏教僧侶がおらず、日本の僧侶に法要を行って欲しいという地元の人々の声に応えて、千玄室大宗匠が臨済宗妙心寺派別格本山の正眼寺(岐阜県美濃加茂市)住職の山川宗玄老師に直々に声を掛けられました。法要には松永会長はじめ、300名を超える人々が参列しました。
  心配されていた天気も持ち直し、午前11時に開式。導師を勤められた山川老師の生気凛々、豪快、闊達たる読経は、参列者に強い感銘を与えました。


7月6日(金)
ヌメア日本人墓地にて慰霊法要

  ヌメア市長、アンドレ中川元名誉総領事(淡交会ニューカレドニア協会前会長)、タケ日本親善協会会長、ミッシェル名誉領事、森川パリ大使館参事官、日本人子孫等110名が参列して、前日に続いて山川老師を導師に慰霊法要が行われました。この日は、塩月師はじめ、ニューカレドニア協会並びにシドニー協会メンバー全員が参列。塩月師が代表焼香と献花を行いました。




ニューカレドニア協会への茶道稽古、茶名許状授与
  塩月師は、翌日の茶会会場であるシャトー アゲンにてニューカレドニア協会並びにシドニー協会会員の茶道稽古を見られた後、ニューカレドニア協会の川村美砂幹事長に茶名(宗美)の許状を授与されました。

  同日夜は日本食レストラン「将軍」にてニューカレドニア協会メンバーによる歓迎会、謝恩会が催されました。




7月7日(土)
移民120年祭記念茶会 第1日 
於:シャトー アゲン(歴史的建築物)
  日本文化フェスティバルのプログラムの一つとして記念茶会を午前10時から午後4時まで開催。茶席では山川老師筆「千里同風」の色紙が、日本から遠く離れたニューカレドニアにも故郷と同じ風が吹いているという茶会のテーマを表し、またオーストラリアから持ち込まれた豆を材料に手作りされた練り切りの菓子が供され、参加者に茶道のおもてなしの心が大いに伝わるものとなりました。
  第一席目には五藤氏が亭主を務め、以降はニューカレドニア、シドニーのメンバーが交互に点前、半東を務めました。




山川老師筆「千里同風」


7月8日(日)
移民120年祭記念茶会 第2日
於:シャトー アゲン
  120年祭記念行事の最終日にあたるこの日の茶会も盛会。
  午前10時から最終の午後3時半まで毎回満席で、この日の来席者は221名にのぼり、7日と8日の合計では25席、481名に呈茶しました。




1987年9月、当時のヌメア市長からの要請を受け塩月宗芯師を団長とする裏千家茶道使節団が派遣され、それが契機となり翌年には裏千家ニューカレドニア協会(現淡交会ニューカレドニア協会)が発会しました。
  日本人移民の子孫もすでに四世、五世となり、日系人としての意識も希薄になりつつある中、今回の記念祭を機に厳粛な法要を営むと共に茶道をはじめ居合道や日本各地の踊りなど日本の伝統文化や武芸を披露することによって祖先が残した足跡を偲び、日系人としての誇りを喚起する機会を提供することが出来ました。
  発会以来四半世紀、ニューカレドニア協会は今回の行事を成功裏に行い、また新たにシドニー協会との協力関係が出来るなど今後一層の発展が期待されます。