豊国神社 献茶式
千 宗室家元奉仕




  桜花咲き誇る4月18日、京都市東山区の豊国神社(とよくにじんじゃ)において、千 宗室家元の奉仕による献茶式が厳かに執り行われました。

  慶長3年(1598)、豊臣秀吉が亡くなると、遺言によって遺体は東山の阿弥陀ケ峰の山上に葬られました。当初の豊国神社は、その麓に建てられたもので、秀吉に豊国大明神の神号と正一位の神位が授けられました。豊臣家滅亡後、家康に取り壊されてしまいましたが、明治政府が秀吉の徳を称えて神社を再興しました。参道の唐門は、伏見城の城門の一つを移築したもので国宝。また、境内には秀吉夫人・北政所を祀る摂社貞照神社や秀吉の遺品を展示する宝物館などがあります。

  午前10時、秀吉公の廟所、豊国廟の拝殿に家元夫人、伊住弘美夫人とともに入殿された家元は、濃茶・薄茶二碗を謹点され、豊臣公の御霊に献じられました。

  当日は、豊国神社近隣の裏千家茶室・桐蔭席にて今日庵の薄茶席、また裏千家学園生による野点席が豊国廟南側広場に設けられ参会者に呈茶されました。




今日庵本席(於 桐蔭席)