豊国神社献茶式
―千 宗室家元奉仕―




  4月18日(水)、豊国(とよくに)神社(京都市東山区)において、千 宗室家元奉仕の献茶式が執り行われました。
  同社は、慶長3年(1598)8月、伏見城で豊臣秀吉が亡くなるとその遺言により東山の阿弥陀ケ峰に埋葬され、山麓に建てられた廟所が始まりとされます。秀吉には後陽成天皇から豊国(ほうこく)大明神(だいみょうじん)の神号と正一位の神位が贈られました。狩野内膳筆「豊国(ほうこく)祭礼図(さいれいず)屏風(びょうぶ)」(豊国神社蔵・重文)には、慶長9年に催された臨時祭礼の様子が描かれていますが、その壮麗さには目を見張るものがあります。豊臣家滅亡後、徳川家康によって神号は廃され、社殿は朽ちるに任されました。一方、明治政府は、天下を統一しても幕府を開かなかった秀吉を「尊王の功臣」であるとし、現在の地に同社が再興されました。
  午前10時、家元は千 玄室大宗匠、家元夫人、千 万紀子様、伊住弘美様、伊住公一朗様、伊住禮次朗様とともに豊国廟拝殿に入られ、濃茶・薄茶二碗を謹点し、豊公の御霊に献じられました。




  献茶式に際して、今日庵担当の本席が豊国神社近隣の裏千家茶室・桐蔭席に、裏千家学園生担当の野点席が豊国廟南側広場に設けられ、参列者に心のこもった一碗が呈されました。


本席(今日庵担当) 野点席(裏千家学園生担当)