戻る
裏千家八代 又玄斎一燈宗室居士二百五十回忌法要
(擔泉斎月澗宗晃居士祥当命日法要)




  令和2年2月2日(日)、京都市北区の大徳寺聚光院において裏千家八代 又玄斎一燈宗室居士の二百五十回忌法要が執り行われ、あわせて故伊住宗晃宗匠(擔泉斎月澗宗晃居士)の祥当命日法要が営まれました。

  又玄斎一燈 (1719〜1771)は表千家六代 覚々斎原叟の三男として生まれました。次兄で裏千家七代を継いだ最々斎竺叟が25歳で夭逝したため、享保19年(1734)に16歳で養子として裏千家に入り、八代を継承。町人経済が伸張し、茶道人口が増大した江戸中期に、長兄の表千家七代 如心斎天然とともに「千家七事式」を考案するなどして千家を中興されました。

  法要は午前10時から営まれ、千 玄室大宗匠、千 宗室家元夫妻はじめ親族方や縁の方々、今日庵老分・顧問、淡交会理事・監事、参事・参事補・特別参事、地区・支部役員、千家十職や裏千家同門社中の代表など約140名が参列。家元が「お茶湯の儀」を厳修し、一碗を捧げられました。続いて聚光院住職の小野澤虎洞師を導師に読経がなされ、参列者はその遺徳を偲んで静かに合掌しました。






  最後に家元が「如心斎天然、最々斎竺叟、そして又玄斎一燈。この3兄弟の時代に茶の湯の世界は太くてしっかりとした大きな節目を迎えました。それがあったからこそ今日の発展があります。私どもも又玄斎宗匠に恥じないような節目を作っていけるよう、皆一丸となって邁進していく所存でございます」と挨拶されました。




  大徳寺山内には追善茶会として3席が懸けられ、約280名が参会しました。


◇今日庵席(於 聚光院書院)


◇業躰席(於 総見院) ◇志倶会席(於 三玄院)


戻る