山寺は、貞観2年(西暦860年)に清和天皇の勅許を頂いた慈覚大師の手で開山されました。
山寺というのは通称で、正式には『宝珠山立石寺』(りっしゃくじ)といい、比叡山延暦寺の別院となっており、本堂である根本中堂では延暦寺より移された「不滅の法灯」が1100年以上経った今でもその輝きを放っています。

貫首の清原浄田老師は淡交会山形支部の副支部長でもいらっしゃいます。また毎年10月には根本中堂前の広場で山形支部青年部連絡会が呈茶を行っています。

1689年(元禄2年)に俳人松尾芭蕉が奥の細道の旅程の中でこの山寺を訪れ、みなさんおなじみ『閑かさや岩にしみ入る蝉の声』という有名な句を詠んだことでも知られています。


 現在は年間100万人近い観光客が訪れる名勝地となっていますが、去る7月8日、北海道ブロック長の岡部さん、同副ブロック長の井口さんが、東北ブロックへリレー品を持参した際に、ここ山寺を訪れ、蝦夷みちのく文化圏茶席の成功と全国のリレー茶会が無事に開催されることを願って参詣なさいました。その様子をほんのちょっとだけご紹介致しましょう。

山寺は山形市郊外のひなびた所にあり、入ってすぐの根本中堂(本堂)のその先、鬱蒼とした杉木立と苔むした奇岩の中、奥の院への石段が延々1000段以上も続く霊場です。

門前のお店から杖を借りていざ出発。(「杖」と笑うことなかれ。けっこう侮れません。特に下りでは重宝します。)


樹齢何百年はあろうという太い杉木立の中、石段を一段一段踏みしめていきます。 芭蕉もこの同じ風景の中であの句を詠んだのかと思うと、時間を超越した不思議な感覚にとらわれてしまいます。これも山寺という場所のなせるわざかもしれません。

しかしふと現実にかえれば、登れど登れどどこまでも石段が....。でもさすがに途中にはちゃんとお休み処もあって、ここで山寺名物「玉こんにゃく」など食べるのも一興、早速こんにゃくをほおばるお二人でした。

せみ塚を経て、仁王門あたり、この辺でようやく半分を過ぎたくらいでしょうか。 7月の陽気に汗がどんどん吹き出してきます。


このへんでちょっと休憩。
思いは皆同じようで、石段に腰を掛けて一休みしている人がそこかしこにいます。

一息ついて再び登り始めるのですが、すでに足はヘトヘト、さながら砂漠でオアシスの蜃気楼を見つけた隊商のごとく、先のほうに見えるお堂を見つけては「あ、あそこが奥の院か」という思いを裏切られること数度....。


登り始めてすでに40分、ようやく奥の院に到着です。
ここで「リレー茶会がつつがなく回りますよう」に、そして「全国大会・蝦夷みちのく文化圏席が無事にとり行われますよう」に念入りに祈願しました。

そして最後は山寺の最高のビューポイント五大堂へ。
ここは奇岩の上に建てられた建物で、もともと修行道場だったとか。

遙か眼下には山寺の集落が広がっています。
こんな良い眺めの中ならば、どんな凡人でも気持ちよく瞑想出来るかも知れません。それにしてもこんな場所にお堂を建てた古え人の叡智にはびっくりさせられるばかりです。 

でも、頬を撫でる風が汗をかいた肌にはさわやかで、なにげに爽快な達成感を味わえますよ。
一度皆さんもおいでになって、慈覚大師の祈りや芭蕉の感慨に思いを馳せてみてはいかがですか?



   詳しくはこちらから
   ■山寺観光ダイジェスト(社)山形市観光協会
    http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/djst/ymdr/
   ■山寺の歩き方(山寺観光協会)
    http://www.dewa.or.jp/yamadera/

《ウィリーを探せ:匿名同行記者編》
上記↑匿名同行記者は全国大会に参加します。もし会場で見つけたときは「みっけ」と声を掛けて下さい。
もちろん、賞品は・・・・ありません(^^ゞ




【古代のロマン・三内丸山遺跡】

 三内丸山遺跡
三内丸山遺跡は、青森市郊外にあります。この遺跡の存在は江戸時代から知られていましたが、大規模な発掘調査は平成4年に始められ、平成12年11月には国特別史跡に指定されました。
遺跡は約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって大規模な定住生活が営まれていた様子がわかってきました。
竪穴住居跡はもとより、お墓や、掘立柱建物跡、貯蔵穴、道路跡などが見つかりましたが、興味深いのは何層にも渡って積み重ねられたゴミ捨て場の遺跡です。膨大な量の出土品(土器、石器、木や骨を細工したもの、墓甕、生活雑器など)も展示してあり、一見の価値があります。
また、場所はやや離れていますが、同じ青森県のつがる市の亀ケ岡遺跡から出土した遮光器土偶などは社会の教科書でおなじみの土偶です。 寒さの厳しい北の大地にも太古から躍動感溢れる数多くの「文化」が存在していたのですね。
◆「三内丸山遺跡公式ホームページ」はこちら


【東北の英雄・阿弖流為(アテルイ)】

平成14年水沢地方振興局が
作成したアテルイ新肖像画
(出典は奥州市埋蔵文化財調査センターHP
アテルイは今の岩手県胆沢地方に在していた人物です。朝廷に刃向かった反逆者というイメージがあり、正当な評価を受けてきませんでした。しかし実は、当時東北で生活を営んでいた蝦夷(えみし)の自由を守るために身を挺して戦った「英雄」と呼ばれるべき人物といえます。
当時(奈良〜平安時代)の蝦夷(えみし)は執拗に侵略を試みる朝廷軍に抵抗し続けていましたが、坂上田村麻呂が征夷大将軍として参戦した際に、アテルイは命を保証することを条件についに降伏しました。しかし残念ながら田村麻呂の嘆願にもかかわらず朝廷の裏切りで処刑されてしまったのです。
東北の歴史は常に中央からの侵略に脅かされ、それに抵抗し続けた歴史でもあります。
◆アテルイの歴史 (岩手の大辞典)


【幕末哀史・白虎隊の悲劇】
幕末の戊辰戦争。各地で悲惨な戦いが繰り広げられましたが、東北会津若松でも哀しい戦いがありました。
当時の会津藩主は松平容保で幕府側の人間だったために会津藩は幕府方として戦っていました。 官軍が会津に迫った慶長4年(1868)、会津藩は必死の抵抗を見せました。

再建された現在の鶴ヶ城
その会津の軍勢には、十六、七歳という若き少年達で編成された隊もありました。 これが白虎隊(正確には白虎二番士中隊)です。 会津軍は激しい戦いに敗走し、鶴ヶ城(会津城)を望む飯盛山にたどり着いた若き隊士たちは、城から煙が上がっているのを見て、ついに落城かと、その地で20名全員が潔く自刃、はかなくも若い命を散らしたのです。しかし、実は落城したかに見えたその煙は城下の町家が燃えていたもので、鶴ヶ城は落城していなかったのでした。動乱の歴史に翻弄された若く哀しい物語といえましょう。
またこの鶴ヶ城には小庵の造りといわれる「麟閣」があります。
◆白虎隊の歴史(会津若松観光公社HP)はこちらから




【日本一短い会話】
A:「どさ」
B:「ゆさ」
ご存じの方も多いかも知れませんが、東北弁における会話の一例としてよく取り上げられる会話です。
その意味は、「どちらへ?」 「お風呂へ。」という会話。
しかし、これより短い会話があるのです。
C:「け」
D:「く」
これこそ究極、日本一短い会話ではないでしょうか。
その意味は「食べなさい」「食べます」
厳しい寒さが長く続く東北では、口を大きく開かずに済む言葉が発達したと聞きます。
これはそれを顕著に表す一例かもしれません。


【北海道弁あれこれ】
なまら→すごく、とっても
〜だべさ→〜だよね
〜っしょ→〜でしょ
あずましくない→落ち着かない、居心地が悪い
ばくる→交換する
おだつ→調子にのる
ちょす→いじる
なげる→(ゴミを)捨てる
したっけ→それじゃぁ
したって→でも、だけど
こわい→疲れた
おっかない→恐い
しゃっこい→冷たい
めんこい→可愛い
はんかくさい→バカな
わや→大変、ひどい
はく→(手袋を)はめる
なんも→大した事じゃない
ザンギ→鳥の唐揚げ




【人気ナンバー1:旭山動物園】
見せる工夫が至るところにあり、大人も子供も楽しませてくれる動物園です。昔は閉園になりそうになった事もありましたが、今や大人気スポットとなり、毎日大勢の来園客で賑わっています。
皆さん!是非来てみて下さい。

◆旭山動物園のHPはこちら


【札幌市時計台(正式名称 旧札幌農学校演舞場)】
北海道大学の前身である札幌農学校の演舞場として1878年に建設されたものです。今も季節を問わず、たくさんの観光客で賑わっています。100年以上、時計は動き、鐘を鳴らしています。1970年に国指定重要文化財に指定されました。また、1996年には環境庁の「日本の音風景百選」にも認定されています。


【躍動の祭典・よさこい】

1992年にスタートし、今年15回目を迎えた“YOSAKOIソーラン祭り”
今ではすっかり札幌の一大イベントになり、道内・道外からたくさんのチームが参加します。今年は350チームが熱い踊りを繰り広げ、186万人の観客がパワーをたくさんもらいました。
全国の皆さんも一度見に来てください!


【モエレ沼公園】

世界的彫刻家、イサム・ノグチの「公園をひとつの彫刻とする」構想で造成されたモエレ沼公園は札幌の北部にあります。
ガラスのピラッミド、モエレ山、海の噴水など色々な施設があり、写真の海の噴水は最大25メートルの高さまで水を噴き上げながら、生命の誕生〜宇宙を表現した40分または20分のショーを見せてくれます。夜のライトアップされた噴水も、とってもきれいです。


【地球岬・トッカリショ】
室蘭市の港の外側は太平洋を100m以上も見下ろす断崖が十数キロも続きます。この一体の断崖絶壁は一千万年前の火山活動によって形作られ、「トッカイショ」や「金屏風」「銀屏風」など溶岩と火山灰層が複雑に組み合わさり変化に富んだ風景になっています。
「地球岬」はその中心にあり、海抜120mの所に白亜の灯台が立っています。展望台からはかなたの水平線が丸く湾曲して見え、地球の丸さを実感できると言われています。

「地球岬」という地名はアイヌ語の「ポロ・チケップ(親なる断崖)」から「チキウ」となまって「地球」という漢字を当てはめられたとのことです。 「トッカリショ」は「トカル・イショ(アザラシの岩)」を語源としていて、冬になるとアザラシが多く集まったところからこう呼ばれるようになったと言われています。

【ネーチャーウォッチング】

○金屏風
絵鞆半島の最南端にあり、赤褐色を帯びた100メートル余の断崖が金の屏風のように見えることから呼ばれ、朝日が映えると一層金色に輝きます。


○銀屏風
アイヌ語でチヌイエピラ(彫刻のある崖)といわれ、灰色の断崖があたかも銀の屏風を立てたように見え、夕日が映えるとよりいっそう銀色に輝きます。


○カマイルカ
地球岬から見える噴火湾には春になると大きな群れでイシイルカやカマイルカがやってきます。7月1日のウォッチングで出会ったカマイルカたちです。華麗なハイジャンプも見せてくれましたが…。


【ラワン蕗】
巨大フキ!!
名前は「ラワンブキ」。北海道遺産にも選ばれています。足寄町螺湾(ラワン)地区の螺湾川沿いに自生しています。高さは2〜3メートル 茎の直径は10センチにもなります。かつては高さ4メートル・葉の直径2メートルのものもあったそうです。
世界的に見てフキは東北アジアにしか自生していないそうです。その中でも何故(?_?)螺湾地区だけに大きなフキができるのか?は良く判っていません。(上流にある神秘の湖・オンネトーに秘密があるとも言われている)
ラワンブキは大きく肉厚の割には アクが少ない やわらかい ミネラルが普通のフキよりも多い(カルシュウム5倍・鉄分3倍)等の特徴があります。是非ご賞味を!又、ラワンブキを刈ると ほとばしり出る水は 爽やかなフキの香りがして ほんのり甘みがあるとのこと。
コロポックル?
「コロポックル」というのはアイヌ伝説に出てくる「蕗(フキ)の下の人」 の事です。 ラワンブキの下では あなたもコロポックル!


【謎の物体!?】


これ、公園などにある水飲み場です。 今は少なくなりましたが、北海道では「タコ」の形をしているのが標準の形。 北海道の人たちにはなじみの風景でも、北海道以外の人にとってはちょっとびっくりする物体です。




【制作】実行委員会・広報リレー茶会部会