【関東第三ブロック】

■栄西禅師と鎌倉(神奈川県鎌倉市)
臨済禅や茶を日本に伝えたとされる栄西禅師(1141-1215)は、鎌倉時代に将軍源実朝と北条政子らの帰依を受け、正治二年(1200年)に鎌倉に寿福寺を創建しました。他者に依存せず、自分の力で切り開くという禅が武士の気性にあい、受け入れられ、鎌倉五山をはじめとしてこの地に禅が根付いたのではないかと言われています。
1214年、栄西禅師が、実朝が二日酔いの折、茶を勧め、茶徳を誉める書物として『喫茶養生記』(わが国最古の茶書)を献じたことが『吾妻鏡』に書かれてあります。また、鶴岡八幡宮内の鎌倉国宝館には『喫茶養生記』の写治本の最も古い写本があります。
その影響か、関東第三には二日酔いを恐れない青年茶人も少なくないのです!!


《利休大辞典(淡交社)より》


■韮山(にらやま)の竹
(静岡県伊豆の国市)
1590年、天下統一を目指し豊臣秀吉が小田原征伐に向かった際、利休も同行しました。その戦の折、有名な逸話も残る「園城寺」や「よなが」「尺八」という竹の花入が生まれました。利休自ら竹を求めて作ったこの花入は、伊豆半島北部静岡県伊豆の国市の「韮山」の竹です。

■早雲寺裂(神奈川県箱根町)
臨済宗大徳寺派の寺で、北条早雲の遺命により、北条家の菩提寺として建立。秀吉が小田原征伐の際、本陣にした寺としても知られ、境内には秀吉の逆鱗に触れてこの境内で惨殺された山上宗二(やまのうえの そうじ)の追善碑があります。
早雲寺什宝に古典学・連歌の第一人者の宗祇の愛用品の文台(ぶんだい)と硯箱がありますが、この文台と硯箱にこの裂地がはりつけてあります。
第12回全国大会の際、関東第三ブロックの茶席では、皆で手作りしたこの早雲寺裂の古帛紗でおもてなし致しました。



【東海ブロック】

■静岡県
静岡県にお茶を紹介したのは、駿河国栃沢(静岡市旧安部郡大川村・現静岡市郊外)に生まれた聖一国師(しょういちこくし)(1202〜1280)が、宋(中国)からお茶の種を持ち帰り出生地の近くの足久保にまいたのが最初だといわれています。
聖一国師は静岡茶の祖といわれています。お茶はもともと薬として飲まれてきました。それを安土桃山時代のはじめに、茶の湯として千利休が確立をしました。

  「白糸の滝」
滝の元となる川はそれほど大きなものではなく、 本滝の横にカーテンのように広がる滝は、高さ二十メートル幅はなんと、百メートルもあり、富士山の噴火で出来た地中の溶岩の層を流れ通ってきた水が、その岩の隙間から流れ落ちてるというもので、これも他ではあまり見る事がないとても珍しいものです。

■愛知県
戦国時代の三英傑といえば信長・秀吉・家康ですが、それぞれが愛知と深い関わりを残しています。織田信秀の三男として1534年(天文3)誕生した信長は、父の葬儀の際、抹香を仏前に投げつけたといいますが、それが名古屋大須の万松寺です。55年(弘治元)には織田信友を滅ぼし清洲城に入り、60年(永禄3)には、かの奇襲戦「桶狭間の戦い」で2万5千の今川義元の軍に見事勝利。67年(永禄10)には斎藤龍興を滅ぼし、長篠・設楽原の戦いでは武田勝頼に勝利。ですが明智光秀の奇襲を受けて、本能寺にて死亡。まさに愛知は「武将のふるさと」なのです。

愛知県には、自然の景勝地、三英傑ゆかりの歴史遺産、地域の特色であるトヨタをはじめとするモノづくりをテーマとした産業観光資源など魅力あふれる観光資源がたくさんあります。大交流時代と言われる21世紀を迎え、2005年に愛地球博を開催、中部国際空港セントレアの開港も果たしました。

   「如庵」
昭和11年に国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構です。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席3名席の1つです。有楽苑では苑内の茶室、広芝生を茶の湯の席として一般の方にご利用いただいています。有楽斎好みの意匠を施した元庵。大寄せの茶会を催すなら、広間のある弘庵。広芝生での野点も、野趣に満ちて粋なもの。また、とくに人気は、書院南縁側でいただくお茶。一口味わうごとに、心まで落ち着いてくるから不思議です。

■岐阜県
岐阜の「岐」は、中国の「岐山」にちなんで付けられています。周の文王はこの山で立ち上がり、八百年の太平の基を築きました。岐阜の「阜」は、中国の「曲阜(きょくふ)」にちなんで付けられています。曲阜は、学問の祖、孔子の生まれた地であります。 太平と学問の地「岐阜」であれという熱い願いでした。織田信長は、その説を生かして城下の井之口村を岐阜町と改め、天下統一の拠点として全国にその名を広めました。なお、「岐阜」という地名は信長が名づける以前から使われていたとも言われており、その由来には諸説があります。


   「長良川の鵜飼」
長良川の鵜飼(うかい)は約1300年の歴史を持ち、現在6人の鵜匠が伝統の技を引き継いでいます。鵜飼用具一式は国の重要有形民俗文化財に、漁法は岐阜市の重要無形民俗文化財に指定されています。

■三重県
江戸時代、伊勢国中部と伊賀国は藤堂氏の安濃津藩、同北部には桑名藩、亀山藩、神戸藩など譜代の諸藩、伊勢国の南部は徳川御三家の紀州藩領で、志摩国鳥羽には九鬼氏のあと譜代の各氏がはいりました。江戸時代には庶民の「お伊勢参り」の集団が関西各地や、東海道日永追分(ひながおいわけ)から山田に通じる参宮街道をにぎわせました。鳥居前町一帯は、幕府の山田幕府奉行所が支配しました。江戸前期、伊賀国上野からは俳人松尾芭蕉、江戸中期には松坂(現在の松阪市)から国学者の本居宣長がでて、全国に影響をあたえました。

蓑虫庵
松坂は戦国の武将蒲生氏郷がきづいた城下町で商都として発展、三井家に代表される豪商がでました。

    「蓑虫庵」
芭蕉五庵(無名庵・西麓庵・東麓庵・瓢竹庵・蓑虫庵)の一つで唯一現存しています。芭蕉の門弟服部土芳(どほう)の草庵ですが貞享5年(1688)3月に庵開きの祝いとして芭蕉が贈った「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」の句から蓑虫庵と名付けられました。 服部土芳(どほう)はここで芭蕉の遺語を集めて「三冊子(さんぞうし)」を書いたといわれています。




【関東第三ブロック】

東海道五十三次は『日本橋』から始まり、第一宿『品川』の次の宿場が神奈川県の『川崎』になります。当ブロック内の東海道には、『川崎』『神奈川』『保土ヶ谷』『戸塚』『藤沢』『平塚』『大磯』『小田原』『箱根』『三島』の10の宿場があります。その中からいくつかご紹介させていただきます。

川崎宿【かわさき】神奈川県川崎市
徳川家康により、六郷川(現在:多摩川)に六郷橋がかけられましたが、洪水でたびたび橋が流出し、渡し船が置かれ、後に渡し賃で川崎宿は繁栄しました。渡船場のそばには弘法大師(空海)をご本尊とする「川崎大師」があります。参詣客で賑わい、名物「奈良茶飯」(茶飯に豆腐汁、煮豆)は旅人の楽しみの一つでした。


神奈川宿【かながわ】神奈川県横浜市
現在は埋め立られてしまいましたが、江戸時代は風光明媚な景勝地で、海に面して旅籠が並ぶ宿場でした。日米和親条約締結の舞台としても知られ、神奈川沖に停泊する外国船を見るために多くの人々が訪れました。


平塚宿【ひらつか】神奈川県平塚市
平塚は弥生・古墳時代から歴史があり、鎌倉〜室町時代にかけては武士集団が活躍し、江戸以前にも人々の往来の多い地でした。戦国時代には武田信玄が小田原進攻した際、往復ともに平塚に陣所を設けたことが知られています。この平塚宿には約50軒の旅籠屋があり、宿泊より休憩に利用されることが多かったそうです。


【東海ブロック】

東海道五十三次は『日本橋』から始まり、当ブロック内の東海道には、『沼津』『原』『吉原』『蒲原』『由井』『興津』『江尻』『府中』『鞠子』『岡部』『藤枝』『島田』『金谷』『日坂』『掛川』『袋井』『見附』『浜松』『舞阪』『荒井』『白須賀』『二川』『吉田』『御油』『赤坂』『藤川』『岡崎』『池鯉鮒』『鳴海』『宮』『桑名』『四日市』『石薬師』『庄野』『亀山』『関』『阪之下』の37の宿場があります。
その中からいくつかご紹介します。(残念ながら当ブロックの岐阜県には東海道の宿場町はありません)

沼津宿【ぬまづ】 静岡県沼津市
 「駿河湾に注ぐ狩野川河口に開けた港町、また沼津城の城下町として栄える」
 『沼津(黄昏図)』(歌川広重・東海道五十三次)
 平作地蔵・荒木又右衛門・沼津一里塚・日枝神社と芭蕉句碑・沼津城下・千本浜公園・松林の恩人達

藤枝宿【ふじえだ】 静岡県藤枝市
 「駿府の防備の要所として田中城のある宿場」
 『藤枝(人馬継立)』 (歌川広重・東海道五十三次)
 旅再開・長楽寺商店街・サッカーのまち・六地蔵・古東海道跡・染飯茶屋跡・上青島一里塚跡

島田宿【しまだ】 静岡県島田市
 「東海道最大の難所、越すに越されぬ大井川を控えた宿場」
『島田(大井川駿岸)』(歌川広重・東海道五十三次)
芭蕉真筆句碑・海野光弘版画記念館・川越遺跡・島田市博物館・大井川

浜松宿【はままつ】静岡県浜松市
 「東を天竜川、西を浜名湖に挟まれた遠江国の中心地」
 『浜松(冬枯図)』(歌川広重・東海道五十三次)
 凧あげ会場・人の砂漠・二つ御堂・若林付近・築山御前と地蔵院

岡崎宿【おかざき】愛知県岡崎市
 「家康生誕の地でもあり、城下町として駿府に次いで栄えた」
 『岡崎(矢矧橋)』(歌川広重・東海道五十三次)
 源氏蛍発生地・大平の一里塚・大岡越前の陣屋・岡崎城・八丁味噌蔵

宮宿【みや】愛知県名古屋市熱田区
 「熱田神宮の門前町として、又いわゆる七里の渡しで桑名へ渡る重要な港として発展した宿場」
 『宮(熱田神事)』(歌川広重・東海道五十三次)
 街道の幻想・裁断橋の物語・熱田の森の少年達・宮の渡し

桑名宿【くわな】三重県桑名市
 「七里の渡しを桑名へ着くと、伊勢神宮の一ノ鳥居が聳えている」
 『桑名(七里渡口)』(歌川広重・東海道五十三次)
 桑名城の石垣・歌行燈・天武天皇の井戸・安永餅・焼き蛤の町

四日市宿【よっかいち】三重県四日市市
 「桑名と同じく宮へ渡る港もあり、伊勢参宮道への追分を控え賑わった宿場」
 『四日市(三重川)』(歌川広重・東海道五十三次)
 二宮金次郎の石像・林時次郎,想出の桜・永餅

亀山宿【かめやま】三重県亀山市
 「宿の中心にあった堅牢な亀山城は徳川の譜代大名が次々と城主となった」
 『亀山(雪晴)』(歌川広重・東海道五十三次)
 江戸の道の標識・題目塔・義侠の行為・和田一里塚亀山ローソク・城下町・石井兄弟仇討ちの場
 写楽の大首絵・武家屋敷・野村の一里塚

関 宿【せき】三重県鈴鹿郡関町
 「地名の由来は、昔この地は鈴鹿の関が設置されていたことから来ている」
 『関(本陣早立)』(歌川広重・東海道五十三次)

「精一杯やって出来る限度」を「関の山」と言いますね。この言葉、関宿が語源なのをご存知ですか?
関宿は、東海道五十三次47番目の宿です。
東海道と伊勢別街道の分岐である「東の追分」と大和街道の分岐である「西の追分」との間1.8kmの間に約400軒の町屋が続きます。このうちの7割が江戸から明治頃に建てられた伝統的な様式をもった建造物で、かつての宿場の雰囲気を今に伝えています。このため東海道の宿場の中では唯一、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれ、今日まで地域をあげて町並み保存に取り組んでいます。
三関の跡・宿場保存運動・関の追分・山田家の小万・関の地蔵院・関の戸




【制作】実行委員会・広報リレー茶会部会