【佐世保】
江戸時代までは一農漁村であったが、明治時代に入り海軍の鎮守府が設置され、それ以降は海上防衛の重要地域として発展していった。戦後は旧軍港市転換法の適用を受け、新たな方向での街づくりが進められたので、あまり歴史はありません


【長崎】
中国、朝鮮半島へ最も近いというその地理的条件から、常に外交や通商の玄関口としての役割を果たしてきました。1571年には、現在の長崎港がポルトガル貿易港として開港され、以来、長崎には大量の西洋の文化が流れ込んできました。オランダや中国の商人も長崎を訪れては貿易を行っていましたが、幕府(当時の日本政府)が鎖国政策を敢行し、外国との通商は、長崎だけで許されるという状態が鎖国が解かれるまでの200年余りの間、続きました。この間長崎が受けてきた海外文化は、今でも県内のあちこちでその名残を見る事ができます。


【宮崎】
九州山地の奥深いところに平家の末裔が住むという。村の社に祀られた異国の王がいるという。天孫降臨の地、百済の里。


【鹿児島】
鹿児島は、旧薩摩・大隅の2国と日向国の南部、それに琉球国の一部とから成り立っています。
古代、隼人居住の国として大和朝廷に服従と反乱を繰り返し、その後大荘園島津荘が出現してから、鎌倉幕府の守護・地頭として勢力を拡げた島津氏が、 領国支配と南島貿易を展開しました。
明治維新後、西郷隆盛らの偉人を多数輩出したが、積極性と消極性、開放性と閉鎖性は鹿児島の特色と言われています。


【北九州】
九州の玄関口門司と本州の間に横たわる関門海峡は、中世には「源平壇ノ浦合戦」の舞台となった歴史ロマン溢れる土地。明治以降ハイカラな港町として栄えたこの地は近代史の中で一旦その役目を負え衰退してしまいましたが、平成になって、門司港レトロという観光地として復活。懐かしくて新しい街で盛者必衰の時間の流れに思いをはせてみてください。

【大牟田】
日本カルタ発祥の地。四百年前、日本のカルタは大牟田から始まった。日本のカルタの歴史は、ポルトガル人の影響を受けて、16世紀末ごろ、筑後の三池(現在の大牟田市)で作り始められたといわれ、当時のカルタはわずか1枚だけが芦屋の滴翠美術館に保管されています。カルタの裏には「三池住貞次」と記されており、文献によれば三池で作られたカルタは、絵柄の美しさや 遊びの面白さなどから、全国に広がっていきました。京の京では、特に出来のいいカルタのことを「三池」と呼んでいました。


【歴史あれこれ・・・西中国ブロック編】

■1185年「壇ノ浦(だんのうら)(下関市)の戦い」
源義経(みなもとの・よしつね)の活躍により、平氏滅亡。貴族社会から武家社会へと大きく転換しました。

■室町時代、大内弘世(ひろよ)が周防(すおう)・長門(ながと)の防長(ぼうちょう)二国を平定。「西の京」山口には、華やかな大内文化が開花。

■キリスト教を伝えにやってきたフランシスコ・ザビエルは、日本初の教会を山口に建設(1551年)し、翌年に行われた歌ミサが日本のクリスマスの発祥といわれています。

■1551年、大内義隆(よしたか)が家臣・陶晴賢(すえ・はるかた)に討たれる。

■その陶氏を破った毛利元就(もうり・もとなり)は、大内氏をも滅ぼし、防長二国も支配。豊臣政権のもと、元就の孫、輝元(てるもと)は8カ国を領国とし、最盛期を誇ります。

■1600年「関が原の戦い」
敗れた毛利氏は、防長二国36万9千石に領地を減らされ、萩に築城。

■1612年「巌流島(がんりゅうじま)の戦い」
巌流島は、正式な名称を船島(ふなしま)(下関市)といいます。宮本武蔵に敗れた、巌流(がんりゅう)佐々木小次郎の名がこの島に残され、一般 に巌流島と呼ぶようになりました。

■幕末、吉田松陰(よしだ・しょういん)、高杉晋作(たかすぎ・しんさく)登場
教育水準の高さと底辺の広さは、多くの人材を輩出し、長州藩は明治維新を推進する中心的な存在となりました。

■大正期、瀬戸内海沿岸地域に、造船、化学、機械、金属などの工場が次々に立地。第二次世界大戦後には、石油化学コンビナートが形成され、全国有数の工業県に発展

■2001年「ジャパンエキスポ・山口きらら博」
79日間、来場者251万人超の大成功により、21世紀を元気にスタートしました。

■2006年11月「第21回国民文化祭」開催予定されており、下関市と防府市で大茶会が開催されます。




【佐世保地方】
昔、九十九島は百の島からなっていた。ある日、島々が佐世保へ酒飲みに行ったお、ひとつの島が酔いつぶれて寝込んでしまった。帰りの期限が切れて、元に戻ることができなくなったひとつの島が、佐世保湾の中にぽつんと残り、九十九島になったというものだ。湾内に残されたその島を一里島と呼んでいるという。



【宮崎地方】
ニニギノミコト(神武天皇の曽祖父)とコノハナサクヤヒメの間に産まれた三つ子。その長男がホデリノミコト=海幸彦と三男ホオリノミコト=山幸彦。 山幸彦は神武天皇の祖父。山幸彦はある日、魚が釣ってみたくなりました。そして海幸彦の大事な釣り針をなくしてしまう。これは「海幸彦」と「山幸彦」のお話。


【能の物語:桜川】
磯部稲村神社の神宮寺に伝わる伝承で桜子は平将門の甥と言われ、木花咲耶姫の申し子といわれ親子の愛を描いた、物語


【山口地方 「厚狭の寝太郎」】
三年と三月の間寝てくらした寝太郎は、ある日、ひょっこり起き上がった。「お父っさん、すまんが千石船を1艘こさえてつかあさい。」何かひらめいたようです。早速たくさんのワラジを集め、それを船に積み込んで佐渡ケ島に向かったのです。ワラジは鉱山で働く人たちに無償であげ、その代わり古ワラジを貰い受けました。持ち帰った古ワラジは三日三晩風呂おけに入れて濯ぎました。やがてそこに沈んだ砂や泥の中に混じって金が光り輝いていました。この金で寝太郎は大金持ちになりました。厚狭の荒れた土地を開拓する資金にすべて使ったということです


(岩国地区)
吉香茶室月釜(岩国市横川) 毎月 会費 1,000円

(周防地区)
万葉の森茶室(周南市) 毎月第2日曜日    会費500円

(宇部地区)
宇部支部月釜(阿知須スパ72ホテル) 毎月第1日曜日 会費 1,000円
ときわ大茶会(宇部ときわ公園) 毎年11月 会費三席で1,000円
                裏流、表流、煎茶売茶流合同

ちょこっとドサクサに紛れてPR→◎ときわ青年部50周年記念大会 平成18年10月7・8日 10,000円

(下関地区)
茶筅供養茶会(長府功山寺) 春分の日 2,000円
東行庵茶会(下関市吉田) 毎年5月 3,000円
◎国民文化祭(下関市長府庭園) 平成18年11月11・12日

(山口地区)
月次祭(防府天満宮芳松庵) 毎月25日 会費 500円 裏流・表流交互で担当
緑庵月釜(山口市野田神社) 毎月10日 会費 1,500円 点心付
露山堂月釜(山口市香山町) 毎月17日 会費 1,000円  裏流・表流・日本茶道交互で開催
常栄寺月釜(山口市宮野下) 毎月 会費 1,000円 裏流・表流・売茶流(煎茶)交互で担当
◎国民文化祭(防府天満宮芳松庵&春風楼) 平成18年11月4・5日




【山口の方言】
実は、現在の標準語の原点なんですよ!(維新後、長州弁と江戸言葉が混ざり、現在の標準語となったそうです。)

では、山口弁での会話
「リレー茶会にあるほ。行くじゃろぅ?」(リレー茶会が開催されます。当然行くでしょ?)

「ほりゃぁ、行くいね」(当然、行きますよ)

「ほーいねー」(そうですよね)

「楽しみっちゃ」(楽しみですね)

だが、実に訛りは強い!

《ねえ、ジャンケンってどうする?》

「じゃんけんもって すっちょん ほい  (あいこなら)

あいこでアメリカ、ヨーロッパ  (あいこなら)

パリーは名高い 大都会  (あいこなら)

インドの国は 大社(おおやしろ)」



◎山口の日本一
  ・日本一多い河豚類の市場取扱量「南風泊市場」(下関市)

  ・日本一多い出身地別首相人数(7首相でなんと我が国内閣の1/3の34年間在任)

  ・日本一長寿の郷「大島郡東和町」65歳以上の割合、町の1/2越

  ・日本一広いカルスト台地「秋吉台」450Ku

  ・日本一長いアーチ型木橋「錦帯橋」(岩国市)193.3m

  ・日本一大きい鍾乳洞「秋芳洞」(秋芳町)総延長10q

  ・日本一小さな裏千家青年部ブロック「西中国ブロック」7青年部

◎山口県の国宝建築物は、全て拝観が無料(山口:瑠璃光寺、下関:長府功山寺仏殿等)

◎萩焼 一楽二萩三唐津 萩の萩の七化け 松本萩(萩市)・深川萩(長門市)・宮野萩(山口市)




■北九州門司に、平成12年にオープンした出光美術館も茶道愛好家には魅力です。

■霧島・指宿と温泉は有名ですが、その他、鹿児島の銭湯は、ほとんど温泉です。銭湯料金(330円)で、いつでも温泉に入れるのが自慢の一つです。ぜひ、足をお運びください

■大分県 宇佐神宮
宇佐神宮は、全国八幡宮の総本宮です。八幡様は、応神天皇の御神霊で、欽明天皇の時代に初めて宇佐の地に御示顕になったと言われています。応神天皇は、大陸の文化と産業を輸入し、新しい国作りをされた方で、聖武天皇の勅願により現在の地に御殿を造立し八幡宮を奉祀されました。
また、聖武天皇は神宮の造営と共に神宮弥勅寺を建て弥勅菩薩、薬師如来を本尊とされました。これより、国東半島に元郷満山寺寺院がたくさん造られました。本殿は、国宝に指定された総本宮にふさわしい威容を誇っており千古斧を入れない深緑の杜に映えて美しい荘厳さを感じさせます。
ホームページはこちら

■大分県 万弘寺の市
大分市坂ノ市の万弘寺で、約1400年前に始められた物々交換市です。当時は貨幣がなかったために、物々交換が行われたと言われています。早朝まだ夜が明けない暗闇の中で行われ、子供から大人まで、各々品物を持ち寄り交換してきます。

■鹿児島の夏の風物詩
『六月灯』は旧暦6月の間、南九州各地寺社で開かれる夏祭り。
江戸時代、薩摩藩主が寺の観音堂を造りかえた際、献灯した故事にちなんで行われる地域のお祭りです。
庶民の間では夏場の病気や農作物の病虫害など災厄を払う意味でそれぞれの集落の神に参り、拝んできました。 写真は、鹿児島市内で最大級、毎年およそ30万人を超す人出でにぎわう照国神社の六月灯です。幅2.5メートルの大灯ろうをはじめ、約1000個の灯ろうの明かりに彩られ、露店が並ぶ参道は凉を求める人々でにぎわいを見せます。地域の人達などによる舞踏や歌の奉納があります



■新婚旅行発祥の地
鹿児島空港から15分ほどの場所に牧園町があります。ここは、かの坂本龍馬と恋女房おりょうさんと新婚旅行で滞在した地として知られています。因みに日本の新婚旅行の習慣は、ここから起こったと言われています。

■錦帯橋

 錦帯橋は山口県最大の河川である錦川に架かっている5連の木造橋で、1673年(延宝元年)岩国藩3代藩主吉川広嘉によって創建されました。アーチ型の基となったのは広嘉と交流のあった中国僧・独立禅師の故郷杭州にある西湖のことを書いた「西湖志」の口絵と言われています。完成後2度の流失にあいましたが、その都度再建、平成13年からは平成の架け替え工事が行なわれ、歴史を残したまま新しく生まれ変わりました。日本3大名橋に指定され多くの観光客で賑わっています。


■山口七夕ちょうちんまつり
旧暦の七夕にあたる8月6日、7日に行わる450年前の昔から伝わっているという火の祭典です。夜は竹につけた数万個の紅ちょうちん飾りで、町筋は火の河を流し美観を呈します。 この祭の由来は、山口開府の大名である大内氏が室町時代に、父母の冥福を祈るために、笹竹の上に高灯籠を灯したのが始まりで、それがやがて町の人々に広まり、高灯籠はやがて手軽な提灯になったと伝えられています。秋田の‘竿灯’、青森の‘ねぶた’とともに三大火祭りです。

■瑠璃光寺五重塔


山口市の瑠璃光寺境内にある五重塔は、大内盛見が兄・義弘の菩提のために建立したと言われています。塔の外観は安定した美しい姿を見せており、室町時代のすぐれた建築の一つであるとともに大内文化の繁栄を物語っています。



■秋吉台・秋芳洞
秋吉台の山麓にある東洋一の大鍾乳洞です。洞内は広く、最も高いところは80mに達しています。延長は約10kmといわれていますが,一般観光ルートは約1kmまで。洞内の気温は四季を通じて17℃のため快適に探勝できます。国指定特別天然記念物。






(社)茶道裏千家淡交会青年部九州ブロックHP

宮崎の観光へリンクして、宮崎の神話を覗いてみてください。

門司港レトロ倶楽部

山笠

大宰府

おいでませ山口へ

☆「焼き物戦争」これをキーワードに検索してみて下さい。興味深いページがたくさんあります。

        


【制作】実行委員会・広報リレー茶会部会