■日本海沿岸とは?■
御存知のとおり日本海に面した地域で、北は北海道から南は九州までの広い地域ではありますが、今回、山陰ブロック、北陸信越ブロックが一緒の文化圏として、北から新潟県、富山県、石川県、鳥取県、島根県、と海のない長野県が加わり一つになりました。
現在では中国や韓国への定期コンテナ航路として、新潟港・直江津港(新潟)、富山港(富山)、金沢港(石川)、敦賀港(福井)、境港(鳥取)などの往来があります。

<歴史あれこれ>
■鳥取県(因幡の国・伯耆の国)■
 鳥取県は東西に長く、昔は、東半分を「因幡の国(いなばのくに)」、西半分を「伯耆の国(ほうきのくに)」と呼んでいましたが、現在では東部・中部・西部の3つに区分されている。

■鳥取砂丘・・・鳥取県 東部■
四季を通じてはもちろん、一日の中でも砂丘は様々な姿を見せてくれる。中でも夏の夜、砂丘とイカ釣り舟の灯が一体となって幻想的な空間となる。

■三徳山にある国宝「投入堂(なげいれどう)・・・鳥取県 中部■
投入堂は今をさかのぼること1300年前の慶雲3年(706)に、役行者(えんのぎょうじゃ)が法力で岩屋に投入れたといわれることから、この名がついています。 標高900mの三徳山の中腹約520mのところ、後部を岩屋にすえ、前面は断崖に向けての舞台造り。
 近づく道すらない垂直な崖に、浮かぶとも建つとも表現しがたい優美な姿をかもしています。 平成13年に行われた年輪年代測定では、平安時代後期の建造であることが分かりました。

■鬼太郎ロード・・・鳥取県 西部■
 漫画家水木しげるの故郷境港。JR境港駅から東へ約800mの道筋には100体以上の妖怪のブロンズ像が並ぶ。

■出雲大社(島根県−出雲の国)■
杵築(きずき)大社ともいう。祭神は大国主命(おおぬしぬしのみこと)『記紀』に載っているのは、国譲りの代償として、高天原(たかまがはら)では大国主命に対し、底つ石根に太い宮柱を深く立てた壮大な宮殿を造り与えたが、これが出雲大社の始まりという。国譲りの神話だが、たとえ史実の反映であったとしても、具体的年代は分からない。従って、出雲大社の建物がいつごろ創設されたか明らかでない。

しかし、『出雲国風土記』には杵築大社が載っており、大国主命のために、大勢の神々が集まって宮を杵築(きず)いたという地名伝承を記している。したがって、少なくとも8世紀初期には、この社は大社(おおやしろ)と呼ばれ、大きな社殿が建てられていたと思われる。

平安時代中ごろの『口遊(くちずさみ)』に、「雲太、和二、京三」という大建造物の歌謡をあげている。すなわち、出雲大社がもっとも大きく、次いで大仏殿、大極殿の順だというのである。出雲大社本殿の高さは、太古は32丈(96.96m)、中古は16丈、近古は8丈という伝えがあるが、平安時代の大仏殿が15丈といわれるから、雲太といわれたころの出雲大社は16丈(48.48m)の壮大な建物であったろう。これが8丈に縮小されたのは、鎌倉時代宝治2年(1248)の造営からであるといわれる。現在の本殿(国宝)は延享元年(1744)造営されたものである。


 本殿は大社造りの代表で、屋根は切妻造り、妻入りで、内部さよ心御柱(しんのみはしら)を中心に田の字型に仕切られ、神座は向かって右から左へ向いている。屋根にそびえる千木(ちぎ)は外削(そとそぎ)で、長さ7.8m、3本の勝男木(かつおぎ)木は5.4mと巨大なものである。

 大国主命は本来国土創成の神であったが、中世後期になると大黒天と習合し、福の神となって広汎な信仰を受けた。近世には縁結びの神ともなり、さらに全国的な信仰を集めることとなった。

 出雲大社には、現在、年間72回におよぶ祭礼がある。なかでも、神在祭(かみありさい)、古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)、神幸祭、爪剥(つまむぎ)神事などは由緒もあり、特異な神事である。

神在祭は御忌祭(おいみまつり)ともいわれ、旧暦10月11日から17日まで、全国の神々が出雲大社に参集され、会議をされるのに基づいた祭りである。その前日の10日の夜、海の彼方から来る神々を迎えるため、稲佐(いなさ)の浜で神迎(かみむか)えの神事が行われ、神の使いである龍蛇(りゅうじゃ)を曲物(まげもの)に載せて本殿に納める。
神々は境内左右の十九社に宿り、上宮(かみみや)において神議されるのである。出雲大社を出発した神々は、佐太神社に移って、再び会議をされることになる。

出雲大社は、その壮大な建物といい、伝統的な神事といい、やはり神話の国出雲の代表的存在である。

■石見銀山遺跡(島根県−石見の国)■
"石見銀山は、鎌倉時代末期の延慶2年(1309)、大内氏により発見されたとの伝承がありますが、本格的な開発は大永6年(1526)神屋寿禎によって始められ、その後16世紀中頃から17世紀にかけて最盛期を迎えました。
16世紀〜17世紀の約100年の間には大量の銀が採掘され、大内氏、尼子氏、毛利氏といった戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われました。

また、石見銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれ、海外にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国とポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担いました。
17世紀前半の石見銀の産出量は年間約1万貫(約38t)と推定され、世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれる日本銀のかなりの部分を産出していたと考えられています。

 銀の産出が減ったあと近代には銅山として稼働しましたが、1923年(大正12)に閉山となりました。その後、大規模な採掘や開発が行なわれなかったため、16世紀から20世紀初頭にかけての多くの遺跡がきわめて良い状態で保存されています。遺跡の一部は日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44)に国指定史跡となりました。

 さらに、当時の柵内(さくのうち)と呼ばれた銀山一帯には、寺社や民家が残り、往時の繁栄のなごりをみせています。
また、銀山の繁栄と共に成立し栄えた銀山・大森の町並みも、江戸時代末の面影をそのまま伝えており、1987年(昭和62)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

石見銀山遺跡は鉱山跡をはじめ、それを取り巻く山城跡や街道、港、港町など現在では全てが国指定史跡となっています。(昭和44年の国史跡指定の後に、平成14年と平成17年に国史跡の追加指定を行いました。)そして,国の重要伝統的建造物群保存地区には温泉津の町並みも平成16年に選定され,石見銀山遺跡とあわせ,2007年世界遺産登録を目指しています。

■隠岐島(島根県−隠岐の国)■
島根半島の東北40〜80qの海上に位置し、4つの有人島と大小180余りの小島からなる群島で、大別して島前(どうぜん)と島後(どうご)の2つに別れています。


島全体が大山隠岐国立公園(昭和38年)に指定され、島の周囲は高さ100〜300mに及ぶ断崖絶壁と奇岩怪礁が紺碧の海に映えて、豪壮かつ雄大な景観を呈しています。

また、770年の往時を偲ぶ後鳥羽上皇・後醍醐天皇の史跡や、遠い祖先が残した数々の唄と踊りなど歴史と景観、民謡と伝説で名高いロマンチックな島です。
古くから「隠岐の国」と呼ばれ、律令制にいう下国の格付けとはいえ一島一国の風格を有する島であり、古事記に「隠岐之三子島」として記されていることからみても古くから中央に熟知された存在であったことが伺えます。

724年配流の地と定められ権力争いに敗れた皇族をはじめ貴族や僧など、身分の高い人が配流されています。
「続日本紀、日本後紀、増鏡」には、貴人の配流に関する記事が多く史上著名な人物の配流だけでも20数回にわたり、全体では約3000人に及んでいます。

■北前船■
北前船の名称は江戸時代から明治の初めにかけて日本海で活躍した廻船のことで、特定の船型をさす言葉ではありません。
語源については諸説ありますが、「北前」とは古くから「日本海側」を一般的に指す言葉であったので、日本海を往来して輸送に当たっていた北陸地方の貿易船の呼称です。
北前船の航海は、基本的には大坂を基地に蝦夷へ向けて1年1航海します。大坂に着いて、出帆の準備にかかり、瀬戸内海、日本海の寄港地で商いをしながら蝦夷地に到着。大坂へは冬の初めまでに戻ります。
北前船の積荷は蝦夷に行くときは米、酒、塩、砂糖、紙、木綿などで、大坂に行くときは昆布、鰊などの海産物や〆粕等でした。

■佐渡島(新潟県)■
新潟県を代表する観光の1つとして佐渡ヶ島があります。周囲280Km、面積は855,11平方Km(東京23区の1.4倍)で人口は68,000人です。
佐渡は古くから金が出ると知られていたため、徳川幕府によって天領とされ、大がかりな開発が行われました。江戸期には上方(大阪方面)と北海道を結ぶ日本海航路も開かれました。そのため佐渡は日本を縦断する重要な中継地点として栄えました。
このため、現在の佐渡の文化は、商人や船乗りが持ち込んだ町人文化、流人が持ち込んだ貴族文化、金山開発に伴い奉行や役人も派遣されたので武家文化も佐渡へ流入し、いろいろな文化が一体となって創り上げられました。代表的なものとしては、佐渡おけさ、能、鬼太鼓などがあげられます。
農業は米作りが中心で約65万人分相当の生産量です。おけさ柿や干し椎茸作りも盛んです。漁業では、イカやブリが知られます。また総面積の40%以上は山林で占められているので高山植物や雪割り草の宝庫でもあります。

■能登(石川県)■
〜能登はやさしや土までも〜
開湯1200年の歴史をもつ七尾・和倉温泉を筆頭に、美しい自然と伝統が受け継がれている土地、能登です。また、祭り大国でもあり、昔より漁業・農業が続いており、その村・町の祭りはそれぞれが盛大で勇壮です。代表的な祭り七尾市・青柏祭(5月)、能登町・あばれ祭り(7月)、穴水町・長谷部まつり(7月)、七尾市・石崎奉燈祭(8月)、七尾市・お熊甲祭り(9月)があります。

<方言あれこれ>

■山陰■
おせ・・・大きくなった
がいな・・・すごい、大きい
きんさった・・・いらっしゃった
だんだん・・・ありがとう

■長野■
せう・せった・・・言う・言った
使用例
せったか、せわんか、せってみろ・・・言ったか、言わないか、言ってみろ!

■富山■
まいどはや・・・ごめんください、こんにちはなど時間を問わず挨拶に使います

■石川■
しましまにしまっしま・・・縞々(の模様)にしなさいよ
ねじ、ねーじ・・・ネジがないよ
ねが、ねーが・・・ネガはないの?
以上、能登の三大方言。

おいね・・・そうだね
どいね・・・なんですって?!
はいろ・・・そうでしょう?
以上、能登の三大相槌。

■福井■
おぞい・・・良くない
おちょきん・・・正座
うら・・・私


<民話あれこれ>
■山陰■
いなばの白うさぎ
投入堂

■長野■
戸隠神社の起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心にし、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。

<紹介したいこと>
■二十世紀梨■
 全国の収穫量のうち約半分を鳥取県が栽培しています。


■しじみ漁■
宍道湖は日本一のシジミ産地。
ヤマトシジミは全国で約2万トンの漁獲がありますが、そのうち約30%〜40%は宍道湖でとられています。宍道湖は全国一のヤマトシジミの産地であり、「宍道湖しじみ」のブランドは全国的に有名です。



■世界一の砂時計■
島根県大田市仁摩町のサンドミュージアムにある砂時計は高さ(5.2m),砂の容量(1t),砂が落ちる時間(1年間)が世界一。環境保護や鳴き砂保護のシンボルとして造られました。



■富山魚津の蜃気楼■

蜃気楼とは空気の温度差によって遠くの景色が伸びたり逆さまになって見える現象です。日本では富山湾,特に魚津市が「蜃気楼の見える街」として有名であり,毎年4〜6月に10数回程度観察されます。その神秘的な風景は,見るものをしばし現実から解き放ち,幻想空間へと誘ってくれます。
蜃気楼の語源は紀元前の中国にまでさかのぼり「大蛤の妖気が楼閣をつくる」“蜃”−大蛤(ハマグリ),“気”−吐き出す気(妖気),“楼”−高い建物(楼閣)から由来しています。



■トキ■
現在佐渡では島民や島外のボランティアでトキの野生復帰に向け取り組んでいます。
6月末で98羽まで増え、野生復帰に向けた順応化施設の建設も決まり、平成18年には完成します。そして平成20年には試験放鳥を行い佐渡の空をトキがはばたく、それが叶えばどんなに嬉しいことでしょうか。
昨年佐渡で地区大会を行いましたが、大会式典において裏千家の皆様からトキに対しご芳志をいただきました。この恩に報いるためにも成功してほしいと願っております。

■白山■
白山は、富士山、立山とともに日本三名山の一つに数えられ、山頂部は、御前峰(2,702m)、大汝峰(2,684m)、剣ヶ峰(2,677m)で構成されています。
古くから和歌にも詠まれましたが、信仰の山としても知られ、御前峰山頂には白山奥宮があります。養老元年(717年)越前の僧泰澄が、はじめて白山に登り修行したのが信仰登拝の始まりと伝えられています。1億年余り前には湖底にあった白山地域が、その後少しずつ盛り上がって何度も噴火活動を繰り返して火山として誕生し、今日にいたっています。
万年雪が残り、高山植物や広大なブナの原生林の宝庫として知られる山頂部、や生息する多くの野生動物たち、深い谷間から山ろくにかけて噴出する温泉群など白山は多くの魅力をもっています。また、ユネスコの生物圏保存地域に指定されています。

■善光寺■
善光寺は、644年に建立され、その歴史は1400年を経て今日に至っています。ご本尊「一光三尊阿弥陀如来」さまを信州の地にご安置された方が本田善光さんです。この名を取って善光寺さんと親しまれ、現在も現世の安穏と極楽往生を約束して下さる仏さまとして広く深い信仰を集めています。
現在、善光寺の三門は2007年まで保存修理中で、シートがかけられています。
お朝事(大勧進お貫主さまと天台宗一山住職、大本願お上人さまと浄土宗一山住職が毎朝行う勤行)の行き帰りに、参詣者は本堂前の石畳にひざまづいて手を合わせ、お数珠を頭に頂くことができます。早起きしてぜひこのお数珠頂戴に参加してみてはいかがですか。
大香炉の煙を体の悪いところにあてると良くなると言われておりますが、幼いころより頭に煙をあててきましたが、御利益のほどは…


■こしひかり■
魚沼産(新潟県)が有名ですが、美味しいお米の代名詞「コシヒカリ」は福井生まれです。福井県農業試験場で品種育成が続けられ、昭和31年、国の農林登録番号100号をもらい、「コシヒカリ」と命名されました。




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